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型小紋はもともと武士の裃として発達してきた。各藩がそれぞれ独自の小紋柄を工夫し、他藩との差別化を図ったのである。江戸後期には型彫り技術の発達により、そのデザインの精緻さがましてきた。やがて裕福な町人たちの着物や羽織に型小紋が取り入れられるようになってきた。それに伴って、洒落たデザインのバリエーションが広がった。裃がルーツなので、当初は男性の略服として用いられたが、それが次第に女性の着物へと浸透してきたのである。
三橋京子さんが型小紋と出会ったのは、1968年のことである。 「実家のお店が着物を扱っていた関係もあって、縁あって染めの仕事をしていた三橋家に嫁いできました。義父は型小紋5代目の職人気質の三橋榮三です。大学を卒業したばかりの夫と一緒に、それこそ結婚した翌日から修業生活に入りました」
当時は職人さん40名、お手伝いさん2名を擁するほど手広く事業を行っていた。その職人さんたちの世話をしながら、簡単な色刺しから修業を始めたのである。ところが10年後にご主人が亡くなり、社会環境の変化と相まって職人さんも徐々に減ってきた。ついには、義父のもと数名の職人さんと細々と仕事を続けるようになってきた。三橋京子さんが本格的に修業を始めたのは、このときからだった。
「義父は本当の名人で、体つきから手の感じまでまったく違います。そこにいるだけで威圧感がありました。昔気質で叱咤の声に、身がすくみました。義母は心配して、『もう止めてもいいよ』といってくれました。しかし、子どもを育てるためにと、必死に仕事を覚えました。自分なりに仕事ができるようになったと思えるようになったのは、10年もたってからですね」
染めの基本は「型付け」にある。型には癖があって、なかなかうまく染め付けられない。かといって職人さんの前で練習するわけにもいかない。そこで、みんなが寝た後や早朝に型付けの練習をしたという。 「義父の叱り方は半端ではありません。『あの人に仕えられれば、誰にでも仕えられる』と周りからいわれたほどでした。だから、あまり教えてもらおうとしませんでした。しかし、ちょっと教えてもらったことが今になって、『ああ、そういうことだったのか』と腑に落ちるようになってきたのです。いまさらながら、もっといろいろ聞いておけばよかったと残念に思っています」
技術が未熟なときには分からなかったものが、腕が上がってくるとともに次第に見えるようになってきたのだろう。
型小紋の染色作業には、イメージ(型紙決定)、板場、地入れ、染め、蒸し、水元、張手、湯熨斗(ゆのし)という作業がある。それぞれの工程とも小さなミスも許されないだけに、神経を使う。
天候によって仕上がり時間が左右される。湿度の高い梅雨時は、乾かないためほとんど仕事にならないという。1つの作品を染め上げるのに、40日ほどかかる。中でも手の込んだ小紋の振り袖などの場合は、3カ月がかりの作業になることも珍しくない。
三橋工房のある江戸川区では、年に1回展覧会を開催している。1999年には、区長賞を受賞した。「自分には出来栄えはいまひとつでしたが、思いがけず賞を頂戴できました」と謙遜するのも、技術の高みを常に追求している姿勢の現われといえよう。
1990年に型小紋5代目の榮三氏が亡くなり、今後の方向を考えているときに、同業から百貨店での展示販売に誘ってもらった。いわゆる「職人展」である。
「お客さんが目の前にいるわけですから、染めの評価がダイレクトに分かります。『三橋さんの染めはいいわね』といって、家まできてくれた人までいました。こうして自信がついてきましたし、仕事に一層の面白みを感じられるようになってきました。自然に、お客さんの声を反映した作品を作って反応を試したりするようになってきたのです」
手頃価格でほかにあまりないようなものをと、半幅帯を持っていったりした。時には持ち込んだ約30本の半幅帯を完売したこともあるという。
三橋京子さんの作品の特徴は、江戸風の型小紋の技法に沖縄の紅型(びんがた)風のアレンジを凝らしていることである。 紅型はもともと琉球王朝の礼服として使われていたもので、鮮やかな色調と柄を強調する染めに特徴がある。
「昭和初期には、三橋工房ではもっぱら浴衣を染めていました。あるとき問屋さんから義父に、紅型を関東風にアレンジした作品をつくるように依頼があったそうです。それを発展させた技術を受け継いでいるのです。ですから、わたしの作品の特徴は柄行と配色にあります。伝統の柄を現代的な色遣いで表現しています。今使えるものをつくることによって、使う人に楽しんでもらうと同時に、技術の完成度を高めていきたいのです」
もう一つの特徴は、型小紋の技法を使った新しい用途開発を行っていることである。「和服を着る人が少なくなってきましたから、テーブルセンターやのれん、袋物、洋装なども一部手掛けています」
最近では、「えどがわ伝統工芸産学公プロジェクト」の一環として、多摩美・女子美・東京造形大学の若い学生のアイデアを入れて型小紋のパラソルやミュール、ジャケットなども製作している。かつてはこうした作品を問屋さんに卸していた。しかし、問屋の経営が様変わりした現在では、自分で顧客の前に出向いている。それが、図らずもいい刺激になっているようである。
「百貨店などで行われる“職人展”などに、多くて年間10回ぐらい出かけています。これからも染めを使った生活にとけ込んでいけるような作品づくりに力を入れていきたいと思っています」 三橋京子さんによって、型小紋は新たな発展を遂げようとしている。